伊達政宗の身長

伊達政宗

伊達政宗は、戦国時代の武将として歴史の教科書にも出てくるほど有名な人でもあります。
陸奥仙台藩の初代藩主で、出羽国と陸奥国の戦国大名でもありました。
本姓は“藤原氏”で、家系が“伊達氏”なのです。
伊達政宗は右目を失明していて、その失明の原因にもさまざまな言い伝えがあります。
自身では、木から落ちたときに出てきてしまって、自分で食べてしまったといっていますが、
もともと右目が悪かったそうで、短刀で摘出したという逸話もあるそうです。

伊達政宗には、正室に愛姫、側室には9人ほどの女性がいたそうです。
子供も15人程います。
昔は、沢山の側室がいて沢山の子孫を残すようにしていたので、それ位の数でもえらい人の立場になれば、当たり前だったのかもしれませんね。
もしかしたら、とってもかっこいい良い男だったのかもしれません。

伊達政宗の身長

伊達政宗の身長は、発掘調査において昭和49年の1974年に遺骨の学術的調査によってわかりました。
当時の平均的な身長でもあった159.4cmだったといわれています。
現在の男性たちは、平均身長も昔に比べるととっても高くなったのではないでしょうか?
特に、若い男性には長身も多いので、現在に伊達政宗がいたら身長は低い方でしたね。

ちなみに、遺骸に残っていた毛髪から血液型がB型であったこともわかっていますし、
歯槽膿漏だったそうで、歯も左右の犬歯以外全て抜け落ちていたんだそうです。
発掘調査によって、当時の身長や血液型がわかるのは、科学の進歩の象徴の1つでもあります。
遺品の中に煙管という日本で古くから使用されていた喫煙道具の一種、パイプのようなものが見つかっているので、
もしかしたら伊達政宗は当時に、タバコのようなものをすっていたのかもしれませんね。
他には、硯箱や鉛筆、懐中日時計兼磁石、懐中鏡、など銀製ペンダントや黄金製のロザリオ…
全部で約30点ほどが、伊達政宗の遺骨と一緒に埋められていて見つかっています。

伊達政宗が残しているものは、葬品だけではなく
昔の人が俳句や川柳なども楽しんでいて、遺訓もいくつか残されています。

伊達政宗像